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感動教材プランニングができるまで #2

Story2:教材との出会い

· 起業ストーリー

感動教材プランニングが誕生するまでのSTORYをご紹介させていただいています。

今日は第二話。

 

※第一話はこちら >>>

Story2:教材との出会い

小学校5年生になるとき、父の仕事の都合で、

一家でポーランドのワルシャワに移り住みました。

日本人学校はあるものの、

小学部・中学部あわせて18名という

世界的に見ても極小規模の日本人学校。

私の学年は、私を含めて2人だけ。

日本と同じ教科書を使い、超少人数でわかるまで

じっくりと教えてもらえる、

いわば個人指導塾のような環境でした。

だから、日本を離れていたとしても、

日本の勉強に遅れが出る心配はない。

でもいずれは帰国予定。

おそらく

「帰国したときに浦島太郎状態にならないように」

という両親の配慮により、毎月私の元へ

「進研ゼミ」と「5年の学習」が届くようになりました。

ときは1990年。

まだパソコンやインターネットなんてない時代です。

父の勤め先ですら、数日遅れで日本の新聞が読めるような状況。

そんな時代だったので、小学生の私が日本の今を知ろうにも、

手段は「友達との文通」以外、何ひとつありませんでした。

(文通も当時は郵便事情が悪かったので、

届くのに1ヶ月以上かかったり、途中で行方知らずになったり…)

そこに届いた「進研ゼミ」と「5年の学習」!

私が狂喜乱舞しないわけはありません。

それからというもの、月に1回届く2つの教材と、

月に1回送り返す「進研ゼミ」の添削課題が私の楽しみになりました。

教材が届いた翌日には、添削課題を投函し

(しかもポーランドからでは不着の可能性があるので、

わざわざ西側諸国に行く人に代理投函を依頼)、

それから貪るように教材・冊子を読み漁り、読み耽りました。

何度も何度も読み返し、気に入った記事は暗記してしまうほど。

さらに「これは!」と思った記事や文章は

「書き写す(写経?笑)」までするようになり、

来る日も来る日も飽きもせず進研ゼミと学習を読んでいました。

特集記事や読み物ページは、海外にいながら、

日本の友人たちとおしゃべりをしているような楽しさがあり、

勉強のページや赤ペン先生からのメッセージやアドバイスは、

私にたくさんの好奇心や知識欲をもたらしてくれました。

教材は、私にとってワクワクする魔法のようなツールだったのです。

そして翌年のクリスマス。

私は父に当時発売になったばかりの

「ちびまる子ちゃんワープロ」をリクエストしました。

こうして、ついに私は念願の「活字を生み出す機械」を

手にすることになります。

それからというもの、写経が「手書き」から「ワープロ打ち」に変わり、

私の記者?ライター?ごっこはさらに加熱していきました。

それはケニアのナイロビに引っ越した中学2年まで続きました。

✴︎日本の情報を得る手段が「教科書」と「教材」だった。

✴︎日本の友達に何かを伝える手段が「手紙」だった。

✴︎どれも「紙」と「活字」で構成されていた。

✴︎それらは「読みやすく・わかりやすく・誤解なく、

 口頭での補足説明なしでも伝わる工夫と、おもいやり」に満ち溢れていた。

✴︎そんなコミュニケーションと手段に、私は感動していた。

この教材のおかげで、

私の海外生活は楽しく豊かなものになったのです。

こうして私は「教材」というものに出会いました。

...Story3に続く。>>

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