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感動教材プランニングができるまで #1

Story1:みんな自由で、違っていい。

· 起業ストーリー

感動教材プランニングが誕生するまでのSTORYをご紹介させていただきます。

今日は第一話。

ちょっと長いですが、お付き合いくださいませ。

Story1:みんな自由で、違っていい。

ものごころついた頃、

私はアフリカのスーダンという国にいました。

家には両親、傍らには現地のベビーシッターさんがいて、

毎朝自宅の玄関前をヤギやロバの大群が駆け抜けていく光景。

これが、私が初めて認識した「世界」です。

▼矢澤典子1〜2歳のころ。スーダン・ハルツームの自宅近くで。

その後、オランダ、ポーランド、ケニアと渡るのですが、

見てきたのはずっと「みんな違って当たり前」という世界。

「この世界には、いろんな人がいて、いろんなことをしている」

「世界は広くて、温かくて、おもしろい」

そんな世界にドキドキワクワクしていました。

ところが、高校受験に合わせて帰国した日本では、

何やら様子が違いました。

海外帰りの私。

日本の流行りがわからない私。

「私はこう思う」を発言する私。

その度にザワザワと沸き立つ不穏な空気。

多感な思春期だったこともあり、

「どうやらみんなと同じようにしないといけないらしい」

と察するまでに、時間はかかりませんでした。

処世術として、自分の本心に気づかないふりをし、

周囲に埋もれるように目立たずに過ごしているうちに、

いつしか私は、場の空気を読んで、

周囲の期待を鋭く察知して応える

優等生キャラになっていきます。

これが私の暗黒の時代の始まり。

それは、社会人となって、

一層強固なものになっていきました。

上司の期待、お客様の要望、同僚の状況を

とても敏感に察知することで、

評価され、必要とされる人になっていきます。

が、私はちっとも幸せではなく、

心は常に疲弊していて、そのストレスが

「体調不良」や「病気」となって現れてくるようになりました。

社会人経験を重ねるほどに、

組織や立場としてあるべき態度・発言を求められ、

規律やルールにがんじがらめになっていく。

耳を傾けたい声や、目を向けたい課題があっても、

組織としては取るに足らない物事。

組織で働く上でのそんな「当たり前」すら、

私にとっては苦痛で窮屈なものになってしまい、

会社員として働くことに、

どうにもこうにも折り合いがつけられなくなっていたのです。

そんなタイミングで頭をよぎったのが、

新卒で就職するときに、おぼろげながら抱いた

「いずれは組織に属さず仕事がしたい」という想い。

私は、自分の想いや考えを、

誰に遠慮することなく発信したい。

良いものを良いと言いたい。

好きなものを好きと言いたい。

何よりも、マジョリティやメインストリームの流れから

こぼれ落ちてしまう、小さいけれど光るもの・

大切なものを拾い上げて、スポットライトを当てたい。

声にならないものに耳を傾け、

目に見えないものに形を与える。

そんなところにこそ、

私が幼い頃に見てきた「多様性」の芽があるのでは?

35歳。

こうして、まずは組織を離れて

「フリーランスとして働く私」が誕生しました。

そこに広がっていたのは・・・

私がよーく知っている

「この世界には、いろんな人がいて、いろんなことをしている」

「世界は広くて、温かくて、おもしろい」

ドキドキワクワクする世界でした。

...Story2に続きます。>>

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