===自分史の執筆に挑戦中!===
「元旦生まれのめでたい子」として
東京都足立区に生を享けた私は…
初の内孫を喜んでくれた祖父母との
穏やかな同居生活も束の間
いきなり、とんでもないところに
連れて行かれることになります。
その地は…
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アフリカ・スーダン(首都:ハルツーム)
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外務省職員だった父の転勤が決まり、
母と私も一緒に渡ることになったのです。

▲スーダンはここ!
このとき
父、33歳
母、27歳
私、1歳半
この時代のスーダンに、
こんな幼子を連れて行こうと思った母は
本当にすごい人だなと思います。
(しかも私の弟を妊娠中)
当時はソ連上空を飛べなかったので、
スーダンまでは
成田→アンカレッジ
→ヨーロッパの主要都市(泊)
→ハルツーム
と、片道一日以上かかるような行程。
一時帰国もままならないと覚悟した母は、
大量のお米・味噌・醤油…etc.を
携えていったそうです。
この時代の移動手段や運輸手段、
連絡手段や社会的インフラを考えると
父母が抱えた不安や苦労は
相当大きなものだったはず。
ところが、私はというと
まだものごころがついてない赤ちゃん👶
日本での記憶がないままに
気づいたらスーダンにいました。笑
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ブロック? レンガ? コンクリート?でできた
平屋に住んでいて、
私と両親のほかに
現地のベビーシッターさんがいて、
毎朝自宅の庭先を、ヤギ?ロバ?の大群が
駆け抜けていく風景。
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これが、私が思い出せる
人生のいちばん古い記憶。
私が初めて認識した「自分が住む世界」でした。

▲自宅でベビーシッターさんと。母とラクダと。
道という道が穴だらけのデコボコ道で
車のタイヤがしょっちゅう穴にハマる景色。
(砂埃がすごかった)
保育園みたいなところに
連れて行かれるのが嫌で、
ひたすら泣きわめいている記憶。
(なんか怖かった)
ある朝起きたら、庭にあった
お気に入りのビニールプールが
なくなってて悲しかった記憶。
(泥棒に盗まれた)
家の中でボール遊びをしているとき
顔から壁に激突して痛かった体験。
(このときぶつけたおデコの右側は
いまだに出っ張ってる)
などなど、
2歳前後の体験だったので
断片的ではあるけれど、
意外といろんな風景を覚えています。
一方で、自分では気づいていなかったけど
あとあと当時の写真を見て初めて知った
衝撃の事実も!
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その頃の私は、なぜか坊主頭。笑
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とにかく暑いスーダン。
頭皮にあせもができてしまい、
致し方なく坊主にされたらしいのですが、
当時はそのことを意識することも
気にすることもなく、
写真の中の私は、ワンピースを着て
サンダルを履いて、バックを持って、
気取ってます。笑

▲ナイル川のほとりで。坊主頭でかなりめかし込んでます。笑
そんなスーダン滞在中、
私はある病気にかかってしまいます。
その名も「◯◯◯◯」…😱
>>「矢澤典子の人生ストーリー《3》」に続きます。