===自分史の執筆に挑戦中!===
✴︎ 物語の現在地→2歳あたり
日本に比べると断然暑いスーダン。
でも私には「日本の記憶」がなかったので、
暑い!という認識はなかった気がします。
ですが、頭皮に「あせも」が
できるくらいだったので、
実質暑かったのでしょう。
(それで坊主にさせられた^^;)
そんな暑い地域で心配なのが「熱帯病」。
ついに私は
「あの病気」にかかってしまいます。
その名は「マラリア」😰
—マラリアとは—
マラリア原虫をもった蚊(ハマダラカ属)に
刺されることで感染する病気。
世界中の熱帯・亜熱帯地域で流行しており、
2018年11月に公表された統計によると、
1年間に約2億2000万人が感染し、
推計43万5,000人が死亡している。
(出典:厚生労働省検疫所FORTH)
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…こんな病気です。

▲ハマダラ蚊。見極め方としては「お尻が上がってるか」らしいのですが、よくわかりません!
(画像はCDC/ James Gathanyからお借りしました)
予防法も治療法も今ほどなかった当時は
もっと致死率の高い病気だったはず。
幸い? 残念ながら?
「マラリアにかかったとき」
のことは覚えていなくて、
果たしてどんな状態だったのか…
どうやって治ったのか…
という記憶は残っていません。
あとになって
母から聞かされた話は、
ざっくりまとめると
こんな内容でした。
/
スーダンにはマラリアの薬がなかったから
お父さんがヨーロッパまで
買いに行ってくれたのよ。
\
その話を聞いたときは
「へー、そうだったんだー。
薬がなかったら
私死んでたかもしれないんだねー。
お父さんありがとー!」
と、どこか能天気に
他人事のように思っただけ。笑
が、今の歳になって
そのときの事の顛末や
両親が置かれた状況を想像すると、
冷や汗が出てきます。
1980年代のスーダンで
我が子がそんなことになったら…
きっとものすごい大きな不安・混乱・
苦悩・迷いの中にあったはず。
両親には改めて
「心配かけてごめんなさい」と
「救ってくれてありがとう」を
伝えたいと思います。
そして今心から思うこと。
/
生きててよかった!
\
こんな危機もありつつも、
おかげで命を落とすことなく
通算1年半ほどのアフリカ生活を終えて
大好きなおじいちゃん・おばあちゃんのいる
日本に帰国することになります。
その日本で
私は「あること」に気づきます💡
>>「矢澤典子の人生ストーリー《4》」に続きます。