===自分史の執筆に挑戦中!===
はじめこそ「言葉が通じない!」と
パニックに陥り
「幼稚園に行きたくない!」と
毎日泣き喚いていた私ですが、
幼稚園にも慣れ、友達もでき、
オランダ語もできるようになってからは
水を得た魚のように
のびのびと平穏なオランダ生活を
満喫していました。
(子供の順応性はすごい!
それがすっかり「日常」になってました)
そんな生活に変化があったのが、
母のお腹が大きくなって
2人目の弟が生まれてくることが
わかったとき。
弟がもう一人できるのは楽しみだし
嬉しかったけれど、
「大変だ。
お母さんが病院に行っちゃう。
どうしよう…」(さみしい)
という心配でいっぱいになり、
しばらくの間、そわそわ
落ち着かなかった記憶があります。
そこに救世主のように現れたのが…
「ちっちゃいおばあちゃん」!
(母方のおばあちゃんの呼称^^)
▲大好きなおばあちゃんがオランダにきてくれた!
大正生まれのおばあちゃんは
当時、60代後半。
初めての海外にもかかわらず
ひとりで飛行機に乗って
はるばるオランダまで来てくれて、
数ヶ月間にわたり
私たち家族の生活と母の出産を
サポートしてくれたのです。
なので、母の不在期間に
「さみしさ」を感じることはなく
むしろ、大好きなおばあちゃんが
オランダに来てくれた!
という嬉しさでいっぱいで
/
私がおばあちゃんに
いろんなことを教えてあげなきゃ!
\
という使命感に燃えて過ごす
日々となりました。
(この頃からすでに
お節介気質が伺えます^^;)
にしても、おばあちゃん!
言葉も文化も違う環境の中、
母に代わって
私とすぐ下の弟の幼稚園の送り迎えや
日々のスーパーでの買い物などを
してくれました。
さぞかし大変だったろうな…と思います。
なのに!
幼い記憶にあるのは、
ニコニコと楽しそうにしている
おばあちゃんの顔だけ。
その後も何度となく
思い出話として語られるのですが
「言葉も何もわからないから
ドキドキしながら行ったけど、
どこの国にも親切な人はいるのね。
みんな心配して声をかけて
助けてくれるんだもの。
嬉しかったわぁ」
という言葉に、おばあちゃんの
しなやかな強さを感じました。
おばあちゃん、最強😎
新婚で私を出産早々、
「スーダンに行く」と決めた母には、
間違いなくこのおばあちゃんのDNAが
受け継がれているのだな…と思います。
そして。
私のことをよく知る人は
私のことを
「たまにびっくりするくらい
大胆なことするよね」
と言います。
きっと私もそのDNAを
受け継いでいるのだと信じて。笑
ずーっと大切にしたい
おばあちゃんの思い出です。
▲弟が2人になり、ここから長女気質が炸裂していきます。笑
>>「矢澤典子の人生ストーリー《9》」に続きます。